
初めてミラノの最後の晩餐を訪れてからもうすでに30年という歳月が過ぎています。
当時の最後の晩餐は修復中であり、シモンから始められた修復はちょうど画面中央付近のイエスまで到達していた状態でした。
大きな壁画の前には画面に描かれたテーブルの高さまでステージが組まれており、その上には人が座って作業できる小さな足場が設置されていました。さらにステージに登る階段と足場全体は白い布で覆われており画面の下半分は全く見えない状態です。
正直、期待していた壁画の状態はかなり酷いものでかなりがっかりしたことを覚えています。特に酷かったのが未修復の画面左半分で画面が暗すぎて何が描かれているのかよくわかりませんでした。
左図 トマスと大ヤコブの復元
トマスと大ヤコブの表情の復元は最も神経を使う作業となります。
最後の晩餐のイメージを左右する重要な要素の一つだからです。
特にトマスの表情は難しく、多くの複製画ではまるで猿のような風貌に描かれてしまっている例がほとんどです。
イタリア旅行から帰国して間もない頃それまでとは全く違う新しい画材が手に入ります。パーソナルコンピューターです。
以前からその存在は知ってはいたもののまだ一般的に普及しておらず一度も使ったことがない画材でした。
実際に使ってみるとその革新性は実に多くの可能性を感じさせるもので、特に様々なバリエーションを試行錯誤する際の便利さは傑出したものがありました。
また、画像の比較といった単純な作業であっても以前はコピーや印刷、ライトボックスの準備など複数の機材を使う必要があったのですが、それら全てがコンピューターのみで完結できるようになり作業の効率化は格段に進歩しました。
このパーソナルコンピューターの普及が最後の晩餐の復元の契機となります。
左図 マタイの復元
レオナルドの時代には短縮法を駆使し難しい角度で人物を描ける事が優れた画家の証であるかのような風潮があります。
レオナルドもこの短縮法が得意で人物を描く際によく用いています。
最後の晩餐でもマタイのほかピリポなどもこれらの手法で描かれています。
実際に最後の晩餐の復元を始めてみると意外にオリジナルの壁画が信憑性に欠けるものであることに気づきます。
細部を拡大した画像を見ると多くの部分が修復士による補筆部分で補われており、レオナルドの描いた部分はほとんど残されていませんでした。人物の表情なども修復士の補筆部分を取り除けば全く何が描かれていたのか判別できない状態になります。
また、この修復士が補筆した部分もレオナルドの時代に描かれた最後の晩餐の複製画と比較した場合には多くの疑問点が浮かび上がります。
結局、現状の最後の晩餐には信頼できる部分などほとんど存在していないというのが現実なのです。

下の画像はレオナルドが最後の晩餐のために準備したデッサン画です。
一見すると初期段階の単なる簡略な構想図のように見えますが、私はこの些細なデッサン画こそ最後の晩餐の最終的な設計図であったと考えています。理由は完成された最後の晩餐の画面右側の人物はほぼこのデッサン画に描かれている人物とポーズが一致するからです。
レオナルドがこのデッサン画を基にどのようにして壁画制作を進めていったのかは以下のような手順ではないかと思われます。
①レオナルドのオリジナルデッサン画。
レオナルドは紙面が足りなくなった部分を折り返すように下側に描き足しています。
このことからもレオナルドはこのデッサン画を右から左に描いていることがわかります。
このデッサン画の中で重要な点は画面中央のイエスの両隣にヨハネとペテロが描かれている点、もう一つはユダが一人だけテーブルの反対側に描かれている点です。
このスタイルは最後の晩餐を描く際には伝統的に用いられてきた様式でレオナルド以前の最後の晩餐は概ねこの構図で描かれています。
②右から三人目を画面から取り除いた画像。
レオナルドは右から三人目の人物のポーズが気に入らなかったのかこの人物を最後の晩餐から外します。
そして空いたスペースにその隣の人物を詰めて描いたものが下の画像になります。
③空いたスペースに二人を詰めた画像。
右からシモン、タダイ、マタイ、ピリポが完成します。
次にピリポとヨハネの間に空いたスペースにはペテロの隣に立っていたトマスを移動させます。
その画像が下の画像です。
④トマスを移動した画像。
この時点ではトマスはを指差すポーズをとってはいません。しかし、テーブルに置いた左手の描写や体の姿勢からこの人物がトマスであったことは間違い無いと考えられます。
これで右から、シモン、タダイ、マタイ、ピリポ、トマスまでが完成します。
さらに、画面左側について考察したものが下の画像になります。
⑤トマスを左側グループから取り除いた画像。
トマスを画面右側のグループに移動したため画面の左から三人目の人物は話しかける相手がいなくなります。
そこでレオナルドは左から二人目の人物と三人目の人物の順番を入れ替えます。
その画像が下の画像です。
⑥アンデレと小ヤコブの順番を入れ替えた画像。
左から、バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレが完成します。
このように小ヤコブとアンデレの順番が入れ替わった理由はトマスを左側のグループから右側のグループに移動したために起こった処理であることがわかります。
そしてこの時点で中央の四人と、大ヤコブを除いた人物のレイアウトが完成します。
以上のように、この些細なデッサン画から8人の使徒のポーズと組み合わせを再現することができます。
下の画像はイエスを中心に右にヨハネ、左にペテロを伴った構図で最後の晩餐の中心場面を再現してみたものです。現在の最後の晩餐に見られる構図とは全く違いますが当初はこの構図で最後の晩餐が描かれていた可能性が非常に高いと私は考えています。
そう考える理由は二つあります。一つ目は、レオナルドが準備した最後の晩餐のデッサン画からもわかるように当初はレオナルドも伝統的な構図であるイエスを中心に左右にヨハネとペテロを伴う構図で最後の晩餐を描こうとしていたのは明らかであるという点が一つと、もう一つは現在の最後の晩餐に見られる不自然な描写にあります。
どこが不自然かというと何と言ってもヨハネの姿勢です。このヨハネの姿勢が不自然に傾きすぎています。通常の描写でここまで体を傾ける必要性は全くなく明らかに何らかの意図を持って傾けられた痕跡が感じられます。
さらにもう一つの不自然な描写はイエスの顔の向きです。このイエスの顔の向きが僅かに右方向に向けられている点に不自然さを感じます。なぜ正面を向いていないのか?イエスが顔を傾ける必要性がどこにあるのかという点に疑問を感じます。
そして、そういった疑問や不自然さに対する一つの回答が下の画像になります。レオナルドが当初描こうとしていた最後の晩餐はこのようなものであったのではないかというのが私の答えです。
ペテロの左手はレオナルドが準備した最後の晩餐のためのデッサン画でもイエスの腕の上に置こうとしています。
また、本来イエスの差し出すパンとユダの手の位置の関係は左図のような位置関係になるはずで現在の最後の晩餐ではイエスの手とユダの手の距離が離れすぎています。
このことからユダも本来の位置から移動させられたのではないかと私は考えています。
上の画像では画面中央にピラミッド型の三角形を配しその中に三人の人物を配置しています。三角形の構図に収めるためにヨハネとペテロの姿勢が大きく傾けられています。そしてこの三角形の中の三人でペテロが神を、イエスが子を、ヨハネが聖霊を表し聖三位一体を暗示させるというのがレオナルドの当初の試みであったと思われます。
ヨハネの体が大きく傾いているのはイエスにもたれかかるためでイエスの顔が僅かに傾けられているのはヨハネを気遣うためです。気の短いペテロはイエスに掴みかかるように「裏切り者は誰ですか?」と詰め寄ります。このような構図は伝統的な最後の晩餐ではよく見かける構図でありレオナルドもそういった伝統的な構図に従って最後の晩餐を描いたと思われます。
このようにレオナルドは最後の晩餐の中心に三角形の構図を用いて聖三位一体を表現しようとしていたと思われるのです。
しかし、レオナルドはこの聖三位一体の構図を破棄します。
私はレオナルドが聖三位一体の構図を破棄した理由は画面全体のバランスを優先したためだと考えています。
下の画像は最後の晩餐のデッサン画を途中で折り返さずに最後まで繋げて描いた構図になります。画像ではイエスから両端のシモン、バルトロマイまでの距離が等しくなるように再現しています。
このイエスを画面の中央に配置する構図の場合、使徒の数は十二使徒なのでテーブルの手前のユダを除くと左右の人数が五人と六人になり必ず不均等になります。このため画面のバランスが左右で異なり完全な左右対象が実現できないことになります。
レオナルド以前の画家が最後の晩餐を描いた場合、この左右の不均等はイエスの位置を画面中央からずらす事で解消しているのですがレオナルドの場合は画面全体の構成が一点透視法で強調された構成になっているためイエスを画面の中心から外せなくなっています。
イエスを画面の中央に配置し画面の左右均等を実現するためにはユダをテーブルの向こう側のグループに加えるしかないのです。

そこでレオナルドはユダをテーブルの向こう側に配置するのですがここで次の問題が発生します。
イエスが差し出すパンをユダが受け取るためにはユダの位置をイエスに近づける必要があります。するとユダの後ろ側に空間が広がりすぎて画面の左右均等を表現できなくなるのです。
レオナルドはこのユダ周辺の空間をどのように処理するかで大いに悩んだと思われます。
十二使徒という限られた人数で完結しなければならないため人数を増やすことができません。そこでレオナルドが用いた解決策は既に描いた使徒達をユダ周辺に移動させるというものです。
結局レオナルドは聖三位一体の構図を破棄してヨハネとペテロをユダ周辺に移動させます。
このことがレオナルドの最後の晩餐を他には類を見ない革新的な構図の最後の晩餐へと進化させることになります。
このように最後の晩餐は最初から構図が完成されていたものではなく描いてる最中に何度も構図を変更し試行錯誤を繰り返すことにより完成された作品であることが判明します。
左の画像はレオナルドが描いた大ヤコブのための頭部習作です。
レオナルドは他にもバルトロマイ、ユダ、ピリポ、シモンの頭部習作を描いていますがそれらはサイズがほぼ同じで19cm x 15cmになります。
しかし、この大ヤコブの頭部習作だけはサイズが25.2cm x 17.2cmと一回り大きいサイズで描かれています。
また、使徒の表情も他の頭部習作では細部までかなり丁寧に描かれた完成度の高いものであるのに対してこの大ヤコブの頭部習作はややラフな部分があります。
こういった特徴の違いなどからこの大ヤコブの頭部習作は他の頭部習作とは別の時期に描かれた可能性を感じます。
では一体いつ描かれたのかについてですが、おそらく下の画像の時期がユダをテーブルの向こう側に配置した後に画面の左右のバランスをとる必要性が生じた時期ではないかと思います。
このタイミングであれば大ヤコブの左側にはヨハネが描かれており、左のデッサン画で描かれてはいない右手や胸から下の部分はヨハネに隠れる部分なので省略されていても不思議はないのです。
この後、ヨハネをユダの隣に移動した後に空白を埋める必要性が生じ、レオナルドは大ヤコブのポーズを両手を大きく広げたポーズに変更します。
大ヤコブのデッサン画のポーズが現在の壁画のポーズと違う理由はこういった点が理由だと考えられます。

上の画像でヨハネとペテロをユダ周辺に配置した場合にはヨハネの手がイエスとユダの手と重なります。
この干渉を避けるためにユダは左方向にずらして配置されることになります。現在見られるユダとイエスの不自然な距離(イエスが差し出すパンにユダの手が届かない距離)はこうした理由で生み出されています。
以上、現在の最後の晩餐に見られる様々な不自然な描写には聖三位一体の構図を破棄したという事実が大きく関係しているのです。